究極的な勝利

担任牧師コラム

兄弟達は、小羊の血と彼らの証しの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもその命を惜しまなかった。

ヨハネの黙示録 12:11

私達は霊的存在であり、神様は活かす霊、悪魔・悪霊は殺す霊です。救い主を受容れた事により、五感の世界のみではなく、霊的世界が広がり、霊的知識を取得して行きます。「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。」(ヨハネ4:24聖霊充満とは、活かす霊に充たされる事であり、結果として悪しき霊は追い出されます。悪魔は私達の考えに侵入して、不安・怖れ・憎悪・憤怒・挫折をもたらそうとします。悪魔の手法は、内的世界を破壊する事により、外的世界における失敗者にする事にあります。どうすれば、この内的世界への攻撃を防ぐ事ができるのでしょうか。

第一は、血潮による証拠で対抗する事です。法廷で無実を立証するには、その根拠が必要な様に、悪魔がほえたけり、私達を呑み込もうとしても、私達にはゲッセマネの丘で流された血潮があります。 この血潮は、人類を自分勝手な思惑から、神様の御旨へ転換する尊い証拠だからです、また、ポンテオピラトの庭で流された血潮は、癒しの証拠である、健康を追い求める権利を回復されるものでした。「その打たれた傷によって、我々は癒されたのだ。」(イザヤ53:5)更に、茨の冠を被られ、流された血潮によって、人類の全ての呪いは清算去れた事を主張うしましょう、そして、十字架で流された血潮により、私達の無実を証明する厳然たる証拠であり、勝利への道なのです。

第二は、御言葉の証拠で対抗する事です。神様は御言葉で天地万物をお造りになりました。御言葉には、創造的能力があるのです。 信仰告白には、偉大な能力がある事を示されたのです。「死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる」(箴言18:21)ペテロは美しの門において足なえに向かって「金銀は私には無い、然し、私にあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒行伝3:6)と宣言して、癒しを行いました。私達にも御言葉を信じ、且つ、使用する権勢がある事を信じましょう。

第三は、暮らしの中での唇の告白です。言葉には二種類があって、一つは殺す言葉、もう一つは活かす言葉です。殺す言葉とは、健康を害する言葉、成功を殺してしまう言葉、祝福を殺してしまう言葉、幸福を殺す言葉、信仰を殺す言葉の事を言います。逆に、活かす言葉とは、十字架を通して、新しいイメージ、自画像wp描かせる言葉です。罪赦された事、儀とせられた事、聖霊様が共におられる事、癒された事、呪いから解放され祝福されている事、永遠なる命を得、天国に暮らす事を語るのです。これらの告白が、悪魔を退け、追放し、勝利をもたらします。人は人生は舌の用い方によって決まります。

キリストの血潮と神の御言葉により永遠なる勝利があります様に!