最後に、私の兄弟達よ。主にあって喜びなさい。先に書いたのと同じ事をここで繰り返すが、それは、私には煩らわしい事ではなく、あなた方には安全な事になる。
ピリピ人への手紙 3:1
この手紙は、パウロがローマの監獄で書いたものです。処刑される事を知っており、絶望的な環境の中で、ピリピの聖徒達を励ます手紙を書いたのです。
何故、その様な事ができたのでしょうか。パウロの心の中に喜びの泉が湧いていたからです。喜びは人生のエネルギーであり、喜び無しの人生に価値を見出す事はできません。人々は、喜びを富貴栄華の中に見出そうとしますが、全く的外れであり、虚しい行為にすぎない事に気が付きません。では、永遠且つ確実な喜びを見出す為にはどうしたらよいのでしょうか。
まずは、喜びの源泉は神の御許にある事を悟りましょう。「あなたは命の道を私に示される。あなたの前には満ち溢れる喜びがあり、あなたの右には、とこしえに諸々の楽しみがある。(詩篇16:11)」神との交わりがあれば、言葉では言い表せない喜びを得る事ができます。イエスキリストは、神と私達を隔てていた垣根を十字架の贖いで取り除く事により、神から流れ出る喜びを私達に下さいました。イエス様だけが、唯一なる喜びへの道、喜びの源泉なのです。
第二に、聖霊を認め、歓迎し、もてなし、全てを委ねる事により、喜びを得る事ができます。
第三に、御言葉を学ぶ事により、喜びを得る事ができます。(エレミヤ15:16)御言葉を悟る事は、神の真理を知る事です。御言葉の上に土台を築く人は、煩い・怖れ・不安から解放されます。
第四に、祈る事により、喜びを得る事ができます。苦しい時、逆境にある時ほど、熱心に祈らなければなりません。不安や恐れが嘘の様に消えてなくなります。悔改め、全てを主に委ねる事ができる喜びが皆さんと共にあります様に。
第五に、聖徒との交わりを通して、喜びを得る事ができます。(マタイ18:19~20)聖徒間の交わりを通して、互いの信仰を強め合い、信仰の成熟をもたらし、真の喜びに触れる事ができます。但し、世的な交わりではなく、常に礼拝中心、祈り中心の交わりでなければなりません。
最後に、主の事業に参加する事により、喜びを得る事ができます。神を受容れ、聖霊充満となり、祈りや聖徒との交わりを通して喜びを得たら、その泉を涸らしてはなりません。その最も良い方法は、主の事業に加わり、献身する事です。「主を喜ぶ事はあなた方の力です。」(ネヘミヤ8:10)この喜びは、この世の栄耀栄華から得る事はできません。
どうぞ皆さんの真の喜びが満ち溢れます様に。