勝利のための武装 

担任牧師コラム

それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、 平和の福音の備えを足にはき、 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。 

エペソ人への手紙 6:13~17

カインによる殺人でアベルの血が流されて以来、人類に戦争のない時代はありませんでした。なぜ、国々は軍備増強に力を注ぐのでしょうか。建前の上では、国防のためですが、その延長線上には侵略があることを否定することはできません。

肉の戦争だけでなく、霊の戦いにおいても論理は同じです(第Ⅰペテロ5:8-9)。戦いに勝利する為には武装が必要なのです。

第一に、真理の帯を締めましょう。人の体は腰が中心であり、腰を痛めると何もすることができなくなります。アダムとエバがエデンから追放されたのは、悪魔の偽の真理、すなわち、『神のようになれる。』に惑わされ、真理の帯を解いてしまったからです。真理の帯とは、イエス様を救い主として信じること、罪の赦しを信じること、『神から来て、神のために生き、神の御許に還ること』を信じること、そして天国が私たちのために準備されていることです(ヨハネ14:6)。

第二に、義の胸当を着けましょう。罪はギリシャ語で『ハマルティア』ですが、射た矢が逸れることを表しています。義とは神様中心の暮しに戻ってくることです。悪魔はそれを逸らそうとして矢を放ちます。私たちは義の胸当でその攻撃を防がなければなりません。

第三に、平安の備えの靴を履きましょう。靴は人の行為を表します。残念ながら、人類には正しい行為を全うする力がありませんから、行動を起こせば、必ず罪・不義・醜悪・呪い・絶望・戦争が生まれます。しかし、私たちには平安の福音があります。神様との和解の靴を履き、癒しの靴、祝福の靴、永生の靴を履くことができるのです。悪魔は『神はあなた方を見捨てた。』と囁きます。でも、この靴を履けば、悪魔に惑わされなくなるのです。

第四に、信仰の盾を取りましょう。悪魔は環境を感覚を通して総攻撃を仕掛けてきます。その攻撃を信仰の盾でかわすのです。信仰の盾を取ることは、御言葉の上に立つことです。

第五に、救いの兜を被りましょう。兜は頭に被るものですが、私たちの想いをキリストの救いでいっぱいにするのです。この世に頼るべきものは存在しません。どんな栄耀栄華もひと時の霧に過ぎません。救いの想いで一杯になることは、平安充満を表し、最高の幸福を勝ち取ることです。

最後に、聖霊の剣、すなわち御言葉の剣を取りましょう。前の五つの武具は全て防御用ですが、剣は唯一攻撃用です。御言葉の剣に対抗し得るものは存在しません。聖書に7000余りの約束があるということは、私たちの手に7,000の剣があることと同じです。“もし、神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵し得ようか。(ローマ8:31) ”、 “あなたのみ言葉はわが足の灯、わが道の光です(詩篇119:105) ”。神様が下さった鎧で全身を固め、死から生へ、病から癒しへ、貧困から富裕へと進撃し、皆さんが通った全ての大地が祝福の地に変えられますように。